Johnny's

第112話「ジュニアとバック転と僕の脱臼癖」

たけJI

[box03 title=”第112話「 ジュニアとバック転と僕の脱臼癖」”]

あの頃のジャニーズ 夢と彼女とジャニーズと [/box03]

1983年秋。

この頃から少年隊のバックで踊る事が増えてきた。

そしてこの頃からジャニーズジュニアのダンスのレベルが飛躍的に上がっていった。

毎週日曜日のテレビ朝日の第2リハーサル室。

ダンスのレッスンの合間に少年隊のニッキとヒガシが競うように、ロンダードからバック転の連続をしてバック宙をするような事をやっていた。

ニッキがロンダード、バック転、バック転、バック転、バック転、バック宙と続けて回った。

すると対抗するように、ヒガシがバック転の連続から「伸身宙返り」を決める。

まるで体操選手のように空中でピンと身体を伸ばして綺麗に着地を決めるのだ。

そのジャンプ力には脱帽である。

その後、正木君や小暮君をはじめ、バック宙が出来る「ジャニーズジュニア」が次々とバック宙を決めていく。

まさに「体操クラブ」にでもいるかのような状態だった。

そんな時、ヒガシが「ウエクサ~♪」と煽るとジュニアがみんな合唱して「ウエクサコール」になる。

すると渋々と言った感じで植草君がロンダードから「ちょっと危なげなバック転」を決める。

「おおー!」

と、できた事に感嘆の声が上がる。

束の間空気が和む。

ヒガシやニッキはそれを見て笑っていた。

ジャニーズジュニアは、バック転は出来て当たり前と言う状態だった。

20人~30人位はできたであろう。

イーグルスの大沢君、内海君、中村君、宇治君の4人。

正木君、柳沢君、遠藤君、内海兄貴、木暮君、平本君、塩入君、田中君、鈴木君、、数え上げたらキリがない。

皆、自主的に練習した。

少年隊のバックで踊るにはバック転が出来ないと使って貰えないダンスナンバーもあった。

1年前に「シブがき隊」が歌謡賞で踊っていた時にはバック転をしたのがせいぜい5~6人だった事を思うと凄い増加である。

勿論ジャニーズジュニアの人数も、この1年で増えていた。

総勢50人はいたのではないだろうか。

入ったばかりの頃のアットホームな雰囲気は無くなりかけていた。

ジャニーさんかボビーさんに認められた者しかバックで踊れない。

若い、中学生位のジュニアが増えて肩身の狭い思いをし始めた頃であった。

とりわけ、バック転が出来ない人間はなおさら肩身が狭い。

ただ出来ないのならば練習をすれば良い。

だが「やってはいけない」人間には辛かった。

1年以上前の、ジャニーズ事務所に入ってしばらくした頃バック転の練習をした事があった。

マットの上で勢い良く後ろに跳んだ。

視界に「逆さまになったマット」が見えて両手を着いたその瞬間。

「ゴキッ! 」

と言う音と共に、右肩に激痛が走った。

少し頭を打って腹這いに倒れた。

直ぐに右肘を持ち少し上に上げた。

頭を打った痛さなど感じない程に右肩に違和感がある。

肩が外れているのが解る。

右肩を脱臼したのだ。

骨と骨が外れて右肘を持っていないと右腕は皮だけ繋がってぶら下がっているような状態になるのだ。

痛いのを我慢して右腕を左手で少しずつ持ち上げて行く。

脂汗をかいているのが解る。

うめき声を上げながら更に右腕を肩の高さと水平になるぐらい持ち上げた。

その時まるで「強力な磁石」で引っ張られるように「ボコッ!! 」と言う音がして右肩にぶら下がっていた右腕が入った。

すると今度は「骨の周り」が内側から「針でツツカレる」ような痛みが始まった。

「激痛」である。

本来なら即病院に直行してもおかしくない大怪我である。

しかし脱臼が癖になっている僕は病院へ行っても意味がない事を知っている。

腫れが引くまで1ヶ月固定する。

2~3ヶ月は安静。

その後、筋トレをして肩の筋肉をつけるしか方法はない。

「ハズレやすくなった靭帯は元には戻らない」

と医者に言われた事がある。

脱臼をしなくする為には、外科手術をして脆くなった靭帯を補強する手術をする方法がある。

が、莫大な費用がかかる上に、大きな手術痕が残り、半年近くは安静にしなければならない。

その後、リハビリに半年。

丸1年は、激しいダンスは踊れない。

僕にはそんな時間も、お金もない。

1年もレッスンを休んでいたら、ジャニーズジュニアではいられないだろう。

そして手術したからと言って「バック転のような激しい動きは出来るかどうかは解らない。」

とも医者に言われた。

「角界」の世界では「横綱千代の富士関」が有名だが、脱臼をしないために鎧のような筋肉をつけても「外れる時には外れる」のである。

外れないようにしながら踊るしかない。

医者からも「自分の真上まで手を上げると、外れやすくなるから、そう言う動きはしないように」

と言われた。

つまりは、ある意味「バック転禁止」の「ドクターストップ状態」なのである。

テレビドラマのロケの最中にも外れている。

少なく見積もっても、14歳の中学3年生のバレーボール中に外したのをきっかけに4年間で8回以上脱臼している。

すべて、右肩である。

野球のボールを投げて、キャッチボールをしていて外れた事も有る。

ボクシングの真似事をして、アッパーカットをした瞬間に外れた事も有る。

もはや、18歳にして右肩の靭帯はボロボロになっているようだった。

だがそんな事を、周りの「ジャニーズジュニア」の仲間たちにも「ジャニーさん」にも知られたくないし言わなかった。

「歳だからバック転が出来ない」

と思われていた方がよっぽど良かった。

その分「ピルエット」「バットマン」「シェネ」など「ダンスのテクニック」を磨けばいい。

そう思って、地味な練習を黙々とした。

足を思い切り上げる「バットマン」では、肉離れになりやすい。

身体の柔軟性を維持するため、足にはレッグウォーマーを必ずつける様にした。

ジャニーズジュニアの半分が短パンやジャージの軽装だとしても、僕はストレッチ素材のスパッツを履き、その上にスエットを着て2枚履きをして体を温める様に心がけていた。

いつしか、「レッグウォーマーの武口君」とボビーさんからも思われるようになっていた。

その甲斐があってか、バック転は出来ないが、辛うじてまだ少年隊のバックで踊らせて貰っていた。

第111話「あいつとララバイ」へ第113話「彼女と映画と蒲田行進曲」

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