Johnny's

第119話「NHK初!4分間のダンス少年隊・アフリカ―ン」

たけJI

[box03 title=”第119話「NHK初!4分間のダンス少年隊・アフリカ―ン」”]

あの頃のジャニーズ 夢と彼女とジャニーズと [/box03]

僕は、田原俊彦の新宿厚生年金会館のコンサートで右肩を脱臼してしまった。

肩を脱臼した後は「通常3~6週間は固定して、安静にしなければ関節を包む筋肉細胞が元に戻らず再び脱臼をしやすくなってしまう」らしい。

つまり本来ならば「丸1ヶ月」は安静にしなければならないと言う事だ。

「本来ならば」である。

しかし、そんな余裕は無い。

1ヶ月も安静にしていたら来るかも知れない「仕事」すら来なくなりそうだ。

掛かり付けの「ほねつぎ」に行くと、案の定同じ事を言われる。

スポンジがついているパットを肩に当ててゴムで留め、電気を流す。

「痛かったら言って下さい! 」

と医者に言われるがギリギリまで言わない。

電気が流れると筋肉が勝手に動く。

そんな事をやって「治るのか? 」と、疑問だが気休めにはなる。

その後は肩に「粉」をかけて刷り込むようにマッサージをしてくれる。

筆で薬剤のようなものを塗り独特の匂いがする「湿布」を貼った。

その上に油紙を上に乗せて包帯で巻いて行く。

これで治るのかどうかは解らないが1週間、つまり翌日からその週の土曜日まで毎日「ほねつぎ」に通った。

そして日曜日には肩に「テーピング」をしてダンスのレッスンに通った。

痛みは大分柔いだものの多少の痛みと、何よりも「また抜けそうな恐怖心」は残っている。

服を着る時にも細心の注意を払う。

右腕から袖を通し、脱ぐときは左腕から脱ぐ。

そうしなければ、又脱臼してしまうのだ。

しかしそんな状態でも「今、燃え尽きても構わない。」

と思っていた。

もう「ジャニーズジュニアとして来年を迎える」気持ちは無い。

それは自分で決めた事である。

年内に何かしら「デビュー」なり「形」にならなければ僕は「ジャニーズ」を辞めようと思っていた。

「20歳のジャニーズジュニアは有り得ない。」

それが、僕が出した結論だった。

もしも給与があるなら職業として成り立つ。

しかし、完全な歩合制でバックで踊っているだけでは月に数万円も稼げない。

そしてどんどん「若いジュニア」が入ってくる。

ジャニーズ内で許してくれたとしても、世間では通用しない。

職業、ジャニーズジュニア。

20歳。

年収10万~120万。

公の書類には、何も書きようが無い。

今はとにかく、仕事がしたかった。

レッスンに出ていなければ、いつ仕事があるか解らない。

無理をしてでもレッスンにだけは出なくてはならないと思っていた。

レッスンに行くと案の定、再び少年隊のバックの仕事が入ってきた。

今度もNHKの「レッツゴーヤング」である。

今回は「アフリカ―ン」と言う楽曲で歌詞はなく、4分間のダンスナンバーに挑戦と言う事であった。

テレビ朝日の第2リハーサル室に少年隊を交えての稽古が始まった。

振り付けはボビーさんである。

振り付けに入る。

今回は最初に、「フットワーク」と言う「技」の練習から始まった。

床に手をつき、左足に右足を交差させ、左足、右足の順番で上半身を基点に一周するのだ。

この技の1回目は両手を尻の後ろに付き、片足を上げるポーズで終わるのだが、2回目は途中で下半身を反転させて「ダウン」した状態で終わる。

「左足を前に右足を90度にしてハードル跳びのような格好」のまま潰れる。

そう、あの時「脱臼」した時のポーズである。

一瞬、あの時の出来事が脳裏をよぎる。

その技をやろうとしたが躊躇った。

気持ちとは裏腹に身体が「拒絶反応」をしているようだ。

少年隊の「ニッキ」と「ヒガシ」、イーグルスの、大沢君、宇治君、中村君は直ぐに出来た。

2回目で「かっちゃん」や内海君も出来るようになった。

ジュニアの面々も半分位のメンバーが出来ている。

僕は大きく息を吸い「フッー」と息を吐いて右足を動かした。

少し肩に痛みはあるものの何とかこなせなた。

「フットワーク」の練習が終わると、本格的な振り付けに入っていった。

今回の振り付けはロボットダンスやファンキー、ロッキングなどを取り入れ、マイケルピータースを思わせる振り付けが多い。

冒頭の振り付けは、少年隊のみで、その後イーグルスの大沢君、宇治君、中村君、内海君の4人が参加する。

踊っている最中でバク宙を行い、そのタイミングで俊ちゃんのバックで踊っている、ジャPAニーズジュニアが参加する。

どんどん人が増えて行くと言う演出である。

ジュニアの中から、正木君、柳沢君、小暮君、中本君、などバク転が出来るメンバーだけが追加されて、その日の稽古は終了した。

少し焦燥感に苛まれる。

「この肩さえ! 」

何度そう思った事だろう。

最初に覚えた「フットワーク」以外出番の無いまま、稽古は翌週に持ち越された。

翌週はNHKのリハーサル室で稽古が行われた。

振りり付けのボビーさん以外に大御所、西条満先生、アシスタントに三浦亨先生、菊地ヒロユキ先生、浅田敏行先生が加わり大掛かりな振り付けとなった。

NHKのリハーサル室は学校の体育館ぐらいの広さがある。

とにかく広い。

その広いリハーサル室で少年隊のアフリカ―ンの振り付けが進んで行く。

ボビーさんは細かい技や流行りの振り付けをして行く。

西条先生は、全体的なフォーメーションや位置移動などを見て行く。

大変大掛かりなモノになった。

ピンと張り詰めた緊張感が漂う中で振り付けが進んで行く。

少年隊の3人にイーグルスの4人が加わり、更にジャPAニーズジュニア、ジャニーズジュニアのバック転組が加わる頃には、同時にフォーメーションも変更されていく。

センターで踊るニッキとニッキ組、左側で踊るヒガシとヒガシ組、右側で踊る植草と植草組がそれぞれ別々の振り付けを踊る。

ボビーさんが振り付けをし、踊る位置を西条先生が指示する。

そして個人個人の振りの覚え具合や修正を、三浦先生が教えていく。

かなり長い時間を踊っているが僕の出番は来ない。

バック転が出来ない組は、ただひたすら出番を待っている。

休憩が入り再びレッスンを再開して、全員がバック転をする振り付けが終わった所でやっとバック転が出来ない組が登場する。

曲が半分位は終わっているだろう所からの参加だった。

手を上げる振りの時に、三浦先生に注意された。

「もっと、しっかり、力強く上げなきゃ駄目だよ! 」

「はい! 」

と言うしかない。

痛みは大分無くなったが、まだ多少の痛みと違和感がある。

しかし「脱臼していた」と言う言い訳はきかない。

やる以上はきっちりやらなければならない。

今回は踊る時間が短い分、肩に負担をかけずに踊る事が出来ると、前向きに受け止めよう。

そう思って今回の「アフリカ―ン」に挑んだ。

迎えた本番当日。

少年隊やイーグルス、ジャPAニーズジュニアのメンバーは、ワンショルダーにレッグウォーマーと言うお洒落な衣装だった。

一方ジャニーズジュニアの面々は「黒いレオタードに上半身は裸にテーピング」と言う格好であった。

僕としては肩に堂々とテーピングが出来るので、超ラッキーである。

がジュニアの中には「さすがにこの差はないだろう! 俺たちはミイラかよ! 」と不貞腐れる者もいた。

ステージ上には「ピラミッド」型のセットが組まれている。

その中央部分に人が踊れるスペースが作られ、イントロの冒頭部分はそこで「連獅子」の格好で3人が踊る。

そこから飛び降りると、中央にあるスクリーンに3人のシルエットが映し出される。

そのスクリーンを破って少年隊が登場する。

衣装も「早変わり」をしてていると言う段取りである。

この「連獅子」に扮しているのは、ボビーさん、菊地さん、浅田さんの3人の先生である。

「素人」がそう簡単に連獅子の振りは出来ない。

カメラリハーサルは問題無く終わり本番を迎えた。

本番が始まると途中、大沢君の「バク宙の失敗」などがあったが、怪我なく無事に終了した。

4分間と言う長い曲で、歌も歌わず、ダンスだけを放送した。

振り付けやリハーサルには長い時間を費やしたが、本番で踊ってしまうと「あっ」と言う間に終わってしまった。

と、言っても僕が踊っているのはほんの2分程度だが。

NHKの「レッツゴーヤング」にはその後も少年隊の「日本よいとこ摩訶不思議」や「三味線ブギ」などをバックで踊った。

が、「バック転」が出来ない事がネックとなり、あくまでも「ジャニーズジュニア」として少しだけ踊っただけだった。

日曜日のレッスン、平日のレッスン、そして収録をしているうちに季節は流れていった。

毎日電話をしていた、彼女との間にも少しずつ隙間風が吹きはじめていた。

2日に1度はお互いに連絡をしていたが、丸2日連絡が無い日が出始めた。

さすがに3日目にはどちらかが連絡をしたが、深い話しがある訳ではない。

1時間~2時間は当たり前に長電話をしていたのが、今では10分でも長い方になっていた。

受話器の向こうから彼女の息づかいが聞こえてくる。

「頑張ってね! 」

と明るい声が聞こえた。

幾度となく言われたその言葉が重荷に感じる時もあった。

頑張っても、頑張っても、「結果」を出せない。

毎回、ほんの少しバックで踊るだけだ。

頑張って踊っても「バック転」が出来なければ、活躍出来ない。

「バック転」をしようとすれば脱臼をしてしまう。

そんなジレンマに陥る。

しかしそれを彼女に言っても始まらない。

愚痴を言うのは男らしく無いと思った。

だから言葉を飲み込んで、「・・・頑張るよ」と歯切れの悪い台詞を吐いてしまう。

彼女もそれを察知したのか、間を置いて「じゃあね・・・」と言った。

恋をして、何もかも「思った事を言葉に出来たあの頃」とは何かが違ってきていた。

少年隊・「踊り子」「アフリカ―ン」画像見つけました!↓

「踊り子、ショートVERから、アフリカ―ンに繋がっています。

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