第110話「この頃のジャニーズジュニア83’」
[box03 title=”第110話「この頃のジャニーズジュニア83’」”]あの頃のジャニーズ 夢と彼女とジャニーズと [/box03]
毎週日曜日の午後。
ジャニーズジュニアは、テレビ朝日の敷地内にある「第2リハーサル室」と言う場所にダンスレッスンに通うことになっていた。
建設現場にあるようなプレハブ小屋の古い建物の3階にあり、非常階段のような鉄骨の階段を使って上り下りしていた。
「こんな所で、天下のジャニーズがレッスンしているのか?」
と思わず言ってしまいそうな雑然とした建物である。
しかし、初めてジャニーさんに連れて来られた時には田原俊彦が、コンサートの練習をしていた場所だ。
ジャニーズと稽古場の施設の良し悪しは関係ない。
あくまでも人と中身である。
ちなみに、第2リハーサル室以外にもちろん第1リハーサル室、第3リハーサル室、第4リハーサル室がある。
中でも第4リハーサル室と言うのが恐ろしかった。
入り口から左側に曲がり進んで行くと森のようになっている場所があった。
その奥深くに洋風の建物があり、その建物が第3リハーサルと第4リハーサル室だった。
明らかに歴史的建造物でなかには本格的な暖炉があるがコンクリートで塗り固められていて、明らかに「訳あり事故物件」と言う様相をていしていた。
この第3、第4リハーサル室では2回ほどレッスンをした事があるが、終わった後、部屋を出るのがやたら怖かった。
第2室リハーサル室は何にもないベニヤ張りの空間が広がり、奥にトイレや給茶器、和室の部屋がある。
その和室を更衣室に使用していた。
毎週日曜日の昼下がりに続々と「その頃の今時風な若いイケメン」たちが集まってくる。
13時には元ジャPAニーズのボビーさん事、ボビー吉野先生がバイクで登場してダンスを教えてくれていた。
レッスンのスタイルはオーソドックスなジャズダンスである。
大体の振り付けはボビーさんが担当していたが、大きなコンサートやテレビの歌謡番組では西条満先生が振り付けをした。
ボビーさんはジャニーズの大先輩であり兄貴のような感じだ。
そしてこの頃からマイケルジャクソンのスリラーの影響が強くなる。
マイケル・ピータース(スリラー等の振付家)の振りが頻繁に出てくるようになった。
それに呼応してジャニーズジュニアも層が厚くダンスレベルも上がって行く。
ダンスが上手く、若い、アクロバットが出来るルックスの良いジャニーズジュニアが増え始めた。
この頃のジャニーズジュニアの代表格と言えば、既に『イーグルス』としてデビューをしていた4人。
「中村成幸」君「宇治正高」君「内海光司」君「大沢樹生」君の4人である。
そしてテレビドラマに出演して一人、俳優部門で頑張っていた「三好圭一」君。(ジャニーズジュニアに俳優部門などないが)
以上は別格であった。
それ以外のジャニーズジュニアをあくまでも僕の記憶と印象で列記すれば…
元々は『ジャニーズ少年隊』だった「鈴木則行」君。
リーダー的な存在で常にジャニーズジュニアの真ん中辺りで踊っていた。
また鈴木則行君を筆頭に田原俊彦こと「俊ちゃん」のバックダンサーとして「ジャPAニーズ・ジュニア」が結成されていた。
メンバーはハスキーボイスに大きめのトレーナーが印象的だった平本淳也君。
年齢が近いせいか比較的落ち着いていた河村直人君。
「マッキー」の愛称で親しまれていたチョイ悪な感じの牧村稔君。
「イーグルス」の「内海光司」君の実の兄貴である内海裕一君。
マッチョな体つきでブレイクダンスを踊っていた中本雅俊君。
僕が入った時から既にいた少し大人しい感じの前田直樹君。(しかし翌年より僕を「長老」と名付けた張本人である)
僕の記憶では田中寛規君も加わっていた気がする。
以上のメンバーが田原俊彦さんのバックダンサーだった。
そしてダンサーと言うより、アイドル色が強かったメンバーは。
バック転もバック宙も出来て運動神経が抜群だった正木慎也君。
そして、二人揃って可愛い顔立ちの双子の兄弟江端郁己君、江端郁世君。
ヒョロっとして細い身体つきが印象的だった遠藤直人君。
何かと仕事では一緒に出演した、柳沢超君。
同じく良く一緒に仕事をしたマイケルジャクソンの真似が上手かった木暮毅君。
帰宅時に良くつるんでいた守屋二郎君。
天然パーマのようなふさふさした髪が印象的だった石丸志門君。
頭が良さそうなイケメンだった桜井公明君。
ヘアスタイルが印象的でまだとても幼かった新井紀一君。
とても真面目そうな印象だった加藤武史君。
他にもこの頃「ジュニア」にいたメンバーとして
東昌孝君。
田中浩君
石井哲也君
板越英真君
百武治明君
塩入訓君
早藤重乙君
阿部順一君
達がいた。
この中でこの頃学校を卒業していたのは多分僕だけだったろう。
早生まれの為に、まだ18歳だったが「マッチ」や「ヨッちゃん」と同じ学年の19歳組だった。
正直に言って、かなりの違和感があった。
同級生はそれぞれ会社に就職して半年が過ぎている時期である。
それが、高校生に混じってダンスを踊っているのだ。
それでも1番踊れるならまだ良い。
しかし、右肩に脱臼癖がある僕はバック転が出来ない。
必然的に、少年隊のバックで踊るにはバック転が出来る事が条件になって行く。
だからといって負ける訳にはいかない。
その分、「ピルエット」「シェネ」「バットマン」等のジャズダンス系の技を磨く毎に専念した。
この年の夏に公開された映画『フラッシュダンス』に僕は刺激された。
初めて見た「ブレイクダンス」と「ムーンウォーク」は実に衝撃的だった。
そして「ジェニファー・ビールス」のダンスにも感銘を受けた。
この映画の1シーンで「ムーンウォーク」が世界に初めて紹介された。
とにかく、これを練習した。
夜の自宅の暗くなった窓ガラスを鏡代わりに、ウエービングやロッキングをひたすら練習した。
それが先々自分の人生に役立つのだから人生捨てたもんじゃない。
そんな「ジャニーズジュニア」時代だった。
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