第5話「たのきん」と「応募」
[box03 title=”第5話「たのきん」と「応募」”]あの頃のジャニーズ 夢と彼女とジャニーズと [/box03]
16歳の冬。
東京は大田区の多摩川沿いにある私立高校に通い、高校1年の3学期を迎えた頃の僕は荒れていた。
中学時代は普通の真面目な生徒だったが、高校に入学すると次第に「ツッパリ」と言われる奴らとの付き合いが始まった。
「髪を染め」「カバンを潰し」「太いズボンを履き」学校に登校した。
興味の無い英語の文法や漢文、将来役に立つとも思えない数学や社会の授業を受ける事に何の意味があるのだろうか?
校舎は剥き出しのコンクリートで土足のまま入る教室に、窓には鉄格子が嵌められている。
学校と言うよりはまるで「監獄」のようだった。
先生と呼ばれている人からは人間的な魅力を感じられず、給料を貰うために授業をしていると言う感じがした。
学校が荒廃しかけている事もあったが、ツッパリと呼ばれている奴らと付き合っている方が刺激的で楽しかった。
学校を早退し喫茶店にたむろする。
バレれば退学になるであろうタバコを吸い、どの銘柄が美味いか? と回して吸ったりしていた。
茶色い髪の毛で原付バイクを乗り回す。
友達が乗ってきた400CCの改造バイク「ホンダ ホークⅢ CB400N」を借りて、ノーヘル、無免許で風を切っていた。
学校は惰性で通ってはいたもののバックレる時も多く、段々と足が遠退き始めていた。
その頃、テレビの世界はアイドル全盛期だった。
テレビドラマ『3年B組金八先生』の生徒役だった田原俊彦、近藤真彦、野村義男の3人が、たのきんトリオとして芸能界であっという間にアイドルスターに駆け登っていた。
『たのきん全力投球』と言う番組が始まり人気に益々拍車をかけていた。
自分と同じ歳の人間がテレビに出て活躍している姿を見て嫉妬していたのかも知れない。
自由奔放に生きている姿に憧れた。
それに比べ、くすぶり続けてやりたい事が解らずに時間を無駄にしている自分が情けない。
そんなある日の事だ。
たまたま友達と回して読んでいた雑誌の隅にジャニーズ事務所の住所が載っていた。
それを見つけて、友達と冗談で「ジャニーズに履歴書送ったら、入れるんじゃねえ? 」と言って一緒に送る事にした。
お互いに写真を撮り、どちらが受かるか、ゲームのような感覚で応募した。
履歴書の特技の欄に友達はサッカー、僕はギターと書いて送った。
その事が後々自分の人生を大きく変える事になる。
懐かしい「田原俊彦」さんの歌声は↓コチラから
懐かしい「近藤真彦」さんの歌声は↓コチラから