Johnny's

第126話「少年隊と俊ちゃんとコンサートツアーの挫折」

たけJI

[box03 title=”第126話「少年隊と俊ちゃんとコンサートツアーの挫折」”]

あの頃のジャニーズ 夢と彼女とジャニーズと [/box03]

食事会が終わってからというもの、毎日が充実して瞬く間に時間が過ぎて行った。

目の前にいるお客様に[「母捨記」の台詞を投げるように叫ぶ。

暗転と明転の繰り返しの中で蓄光テープを頼りに移動する。

兵士の気持ちになって、いつ来るか解らぬ敵を銃を持ち待ち構える。

気が付けばフィナーレを迎え、1日が終わる。

こうして「時代はサーカスの象に乗って’84」は無事に千秋楽を迎え、沢山の思い出と共に終演した。

1ヶ月以上に渡る稽古の日々、芝居に対しての挫折、祖母や両親への孝行、初めて舞台を2回見に来てくれた彼女、MIEさんとの食事会。

充実した時間だった。

しかし、その後の仕事は決まっていない。

満たされた気持ちから一気に覚めていった。

季節は春からもう梅雨に変わろうとしている。

1日目、2日目は1ヶ月の稽古と九日間の本番の休みと言う気持ちでいられた。

しかし3日、4日と経つといよいよ失業者のような気になってしまう。

気分が落ち込みかけたその時、ジャニーさんから電話がかかってきた。

「ユーは、少年隊のコンサートツアーに出れる?」

いつもながら唐突である。

「はい!大丈夫です!」

と言うと日程を告げられ、福島県と愛知県のコンサートツアーに参加する事になった。

とりあえず仕事が入って安堵する。

日曜日、いつもの「テレビ朝日の第2リハーサル室」にダンスレッスンに向かった。

すると早くからジャニーさん、ボビーさん、そして少年隊が来ていた。

この日は春におこなわれた「少年隊ファーストコンサート」の振り付けの確認と振り合わせ、振り直し、参加しないジュニアの場所埋めなどを行った。

数ヶ月前の事であり、5回公演でさんざん踊ったので、音楽かかると身体が勝手に動いてくれる。

リハーサルの合間にはニッキやヒガシがバック転の練習をしていた。

ヒガシは例によって、体操の選手のようにロンダードからバック転の連続を決めて最後はスワンと言う身体を伸ばして身伸宙返りをする。

その直後に「う~えくさ~! 」とヒガシがかっちゃんを煽る。

周りのジュニア達も真似して「う~えくさ~」とコールした。

すると渋々マットの上で植草君がロンダードからバック転をする。

しかし連続して回る事はできず、お手上げと言う表情をした。

みんなが笑った。

今回はツアーなので出演するジュニアも30人位とそんなに多くはない。

アットホームな雰囲気でリハーサルは行われた。

最初のツアー先は福島県の会津若松市だった。

ジュニアは貸し切りの観光バスに乗って現地に向かった。

バスの中はさながら修学旅行のような雰囲気で、賑やかである。

数年前なら思う存分はしゃいだだろうが、二十歳を前にして流石に他のジュニアのようにははしゃげなかった。

このバスの中で前田君から「ジュニアで一番年上だから長老だ!」と名付けられた。

まあ事実だから仕方がないし、そんな事で言い争う気もしない。

しかしこの日から僕のあだ名は長老になった。

コンサート会場に到着すると慌ただしく楽屋へ向かい準備をする。

後から来た少年隊と合流してリハーサルが始まる。

この日、僕は「急げ若者」を踊る時の衣装用に袖が真っ赤なグレーのスタジャン風のジャンバーを用意していた。

このナンバーの衣装は自前で用意する事になっていたためである。

リハーサル後に植草君が寄ってきて言った。

「本番はそれ貸して!」

植草君は衣装のジャンバーを用意するのを忘れたらしい。

何も言っていないが、もうジャンバーを来て「ピッタリ合うじゃん!」と言って着るつもりでいる。

相手は主役のスターだ。

こんな事で揉めるのも嫌だし、貸すことにした。

コンサートが終わった。

片付けをしていると、貸したジャンバーがかさばって収納の邪魔になる。

ちょうど外は少し肌寒いのでTシャツの上に着て帰ろうと思った。

出入口からジュニアが乗ってきた観光バスが駐車している場所まで、少し距離がある。

ジュニアはバラバラと出入口からバスに向かった。

僕もボストンバックを担いで出入口を出た。

その瞬間、出待ちをしていた何百人といるファンから「キャー! かっちゃん!」と大歓声が上がった。

それはそうだ。

薄暗い街灯下でコンサートで来ていたジャンバーを見れば間違えられても仕方ない。

しかし、とてつもなく恥ずかしかった。

心の中では「かっちゃんじゃねえし! 」と呟きながら足早にバスに乗り込んだ。

そう言えば、まだジュニアになったばかりの頃、俊ちゃんのコンサートに行って、俊ちゃんのマネージャーの車に乗り、会場から出る時にファンに囲まれ怖い思いをした事があった。

あの時と一緒で、間違えられて騒がれると言うのはとても屈辱的だった。

少年隊コンサートツアーは福島県のツアーが終わると数日後には愛知県に向かった。

こちらも観光バスでの移動である。

日本全国(と言っても2ヶ所だが)ダンスで渡り歩くと言うのは、とても嬉しく楽しく充実していた。

「仕事で日本全国を渡り歩きたい! 」と言う夢をこの時密かに抱いた。

コンサートが終わり、観光バスに乗って会場を後にする時だった。

女の子のファンの中から自転車に乗った小学3、4年生位の男の子が追いかけてきた。

それも3人位でバスのスピードに追い付いてくる勢いである。

バスの中で気が付いたジュニアが口々に叫んだ。

「あのガキすげぇ!何キロ出てるんだよ!」

「まだ付いてくるよ!」

そしてジュニアの一人がバスの窓を開けた。

「頑張れ! 東京まで付いてこい! 」と叫んだ。

バスの中では笑いが巻き起こる。

嬉しそうな顔で猛ダッシュで付いてくる少年を見ていたが僕は笑えなかった。

その必死さがなぜか羨ましくそして切なかった。

無我夢中で追いかけていられる事が羨ましい。

僕はいつの間にか「何か」を無くしかけていた。

とりあえず、仕事があれば良いと思ってしまっている。

そんな自分を打ちのめす出来事があった。

少年隊コンサートツアーが終わると、今度は田原俊彦コンサートツアーが始まる。

そんなある日、テレビ朝日の第2リハーサル室でダンスの特訓が行われた。

田原俊彦コンサートツアーに向けて、ジャPAニーズジュニアの再編成、オーディションを兼ねたレッスンだった。

それまではイーグルスのメンバーなどが踊っていたが、中村成幸君はNHKの『レッツゴーヤング』と言う番組にレギュラー出演する事が決まり、コンサートツアーには出演が出来なくなった。

「サンデーズ」と言うグループに入ったのだ。

この時、ジャニーさんが「時代はサーカスの象に乗って」に出演した、鈴木君、柳沢君、木暮君、そして僕の4人で「ユーたち、サンデーズに対抗してヨン(4)デーズでも作ろうか!」

と笑いながら言った。

僕は少し真に受けた。

「もしかしたら、新しいグループを作ってくれるのではないだろうか?」

と思ったが、それはジャニーさんの他愛もない冗談だったようだ。

ジャPAニーズジュニアのレッスンを受けたメンバーは鈴木則行君、前田直樹君、田中寛規君、河村直人君、内海裕一君、中本雅俊君、塩入訓君、そして僕だった。

この中では鈴木君、田中君、は既に俊ちゃんのコンサートツアーでバックで踊った経験がある。

俊ちゃんのバックで踊るジュニアは比較的背が高い、いわゆる「ジャニーズ、ジャニーズしていない」キャラクターで、どちらかと言えば大人っぽいジュニアを選ぼうとしているようだった。

その中では塩入君は比較的背が低かったので異例であるが、それだけダンスに関して魅力があったと言う事だろう。

今回のレッスンは振り付けと言うより、振り写しと確認と言うようなレッスンでとにかく進むのが早い。

ジャクソンズメドレーの振り付けから始まったのだが、思い起こせばこの曲は初めてヨッちゃんバンドのオーディションを受けて、ジャニーさんにこのテレビ朝日の第2リハーサル室に連れて来てもらった時に、目の前で俊ちゃんとジャPAニーズが練習していた曲である。

その後、神奈川県民ホールで行われたコンサートでも舞台の袖から見て憧れたダンスナンバーだ。

当然気合いも入って最初から飛ばして踊った。

通常の振り付けをする場合は「1、2、3、4、5、6、7、8」とワンエイトを振り付け、これを4つ分で8×4振り付けをしたら、一度頭から振りを確認して、曲をかけて踊ってみるのだが、今回はその4倍ぐらいの速さで進んで行くのだ。

最初の方でちょっとした振り間違えや、振り忘れをすると直ぐに切羽詰まる。

1曲目をまだ覚えきっていない内に2曲目の振り付けにはいる。

とにかく必死についていこうとした。

しかし、1曲目のうる覚えの部分が気になり集中が出来ない。

容赦なく今度は3曲目の振り写しが始まる。

大好きなダンスナンバーなのに振り付けが覚えられない。

鈴木君や田中君は踊った経験があるためか、ほとんど完璧に覚えていた。

焦りが顔に出る。

1曲目から続けて踊る。

しかし、うる覚えの箇所で振り付けを間違えた。

一瞬、取り残される。

ボビーさんの顔が険しくなる。

次の解る場所から再び踊り始める。

しかし直ぐに覚えた筈の振りを間違え、隣を見て踊り始める。

1度隣を見て踊るようになると、そこからは隣ばかりが気になりワンテンポづつ、遅れてしまう。

一番やってはいけない事をやってしまっている。

ジャクソンズメドレーの振り付けが終わる頃にはヘトヘトで喉が乾いて仕方がなかった。

水が飲みたい。

休みたい。

そんな事ばかり思っていた。

ジャニーさんが差し入れのジュースを持ってきた所で休憩になった。

待ちわびた僕は、ジュースを真っ先に飲んだ。

うまい。

身体中の毛穴から汗が吹き出すように、したたり落ち始めた。

身体がだるい。

やたらと喉が乾く。

ドッシリと座って休憩をしてしまった。

軽い熱中症になっていたのかも知れたい。

不意にジャニーさんが声をかけた。

「ユーたち、少し休みなよ!」

声をかけた先には鈴木君、塩入君、田中君らがまだ踊っていた。

ジャニーさんに声をかけられ、こちらに来ると、ジュースを手に取り一口飲んだ。

二言三言、言葉を交わすと塩入君は再びステップを踏み踊り始めた。

僕は振り付けを覚えていないくせに、休憩が終わるまでドッシリと座ったまんまだった。

「動かなければ、練習しなければ、振り付けを覚えなければ!」

と気持ちは思っていても身体が動こうとしない。

頭の中でカウントを数え振り付けをイメージしてみるものの、やはりうる覚えの箇所が出て来ない。

再び始まったレッスンではそれまでの流れを曲をかけて踊り、次の俊ちゃんメドレーにまで振り付けが進んでしまった。

当然、休んで練習しなかったせいで、うる覚えの場所は踊れないままだ。

こんなに踊れないとは思わなかった。

後日、僕意外のほとんどメンバーは俊ちゃんのコンサートツアーに参加した事を知った。

19歳と言う年齢だが、ジャニーズジュニアとしてはもう、歳だと感じ始めている。

肉体よりも心が折れてしまっていた。

親にも「そろそろ身の振り方を考えた方が良いんじゃないの? 」と言われ始める。

20歳を前にして月に10万円すら稼げない。

ダンスのレッスンが無い日はプラプラしていてニートのような状態だった。

そして肝心なレッスンで、ついていけない自分がいる。

最低だ。

悔しかった。

情けなかった。

ただ、どうして良いのか解らなかった。

そして、これが少年隊や俊ちゃんと絡む最後のチャンスだったとはこの時は思いもしなかった。

第125話「舞台と芝居とMIEさんと」へ第127話「オサラバ坂同窓会と松島トモ子」

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■ この物語の始まり ■

第1話 「始まりはフォーリーブス」

■ 彼女との出会い ■

第12話「マッチと彼女とアルバイト」後編

■ ジャニーズに入った時の話 ■

第18話「初めてのオーディション」(後編)

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