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エピローグ(あとがき)

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「エピローグ(あとがき)」

あの頃のジャニーズ 夢と彼女とジャニーズと 

長い間「あの頃のジャニーズ/夢と彼女とジャニーズと」をお読み頂きまして有難うございましたm(__)m。

そして、たくさんのツイート・リツイート・コメント・メッセージ・本当にどうも有難うございました。

心から感謝致しますと共に御礼申し上げます。

この物語は、2012年から2013年の間に1年以上の歳月をまるまるかけて書き綴ったあの頃のジャニーズ時代の話を、2018年6月より毎日リライトして書きあげました。

自分の情けない、恥ずかしい部分も沢山さらけ出して30数年前に経験した体験は、大したことなのか?

大したことではないのか?

と言う、自分自身への問いかけと、

「自分が経験した事を何かに書き記しておきたい!」

と言う気持ちで書き綴りました。

生きているうちにしたい事は、自分の物語を書くと言う事でした。

そう思いながらも、めくるめく月日は流れ気が付けばあれから30年以上が経過してしまいました。

今やらなきゃ、いつやるんだ!そんな思いから構想2年、執筆1年以上かけて書きあげたものです。

今回、この物語を書くにあたっては私事ですが「東日本大震災」も大きく関わっております。

東日本大震災においてお亡くなりになられました方々のご冥福をお祈り致しますと共に、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

また、1日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。

被災なされた皆様とは比べものにはなりませんが、あの震災により、私も転職を余儀なくされた経緯があった事を付け加えさせて頂きますと共に、その為に今回この物語を書くこともできました。

いずれにせよ、この物語は正確には書いたと言うか、「押した」のです。

この作品は全編、出勤中に「ガラ携」と呼ばれている携帯電話にて、メールを書くようにして綴りました。

携帯電話の「未送信」ボックスに書いては保存、書いては保存を繰り返し1話ずつ書いていきました。

書き始めて2~3ヶ月が経過した頃、ジャニーズ時代の同期で今回の話にも出てきて頂いた「平本淳也」君と連絡がつき、お会いしました。

平本君は私と完全な同期であり(平本君の方が早く入っていたので先輩ではありますが)、懐かしさと同時に、アグレッシブに動くその生きざまに共感して、その後度々会い、現在も友人として、そしてビジネスパートナーとしての関係が始まりました。

この小説も目を通して下さり「これ、面白いよ!」の一言で俄然やる気になりました。

そして「この話、うちからアプリで出そうよ!」

と作家としての道を作ってくれる言葉を投げ掛けてくれました。

すでに作家としても活躍している平本君の応援と後押しの言葉に甘えこの度アプリ化する事になりました。

ここに深く感謝の意を申し上げたいと思います。

この物語は暴露本ではありません。

「アイドル」になる夢と過ぎて行く時間と、大切な彼女との狭間でもがいた青春時代のリアルストーリーです。

因みに、平本君とFacebookを通して連絡している内に「宇治正高」君とも連絡が取れるようになり、石丸君、桜井君、鈴木君、柳沢君、大沢君、中本君、木暮君、牧村君、石井君、新井君と次々にあの頃のジャニーズジュニア、と連絡が取れるようになり、遂には平成24年の秋に「ジャニーズジュニア、プチ同窓会」を、同年冬にはジャニーズジュニア、忘年会&同窓会を行いました。

そして今年「三好圭一」君「斉藤康彦」君「生尾茂」君とも「オサラバ坂」同窓会で再会し、この小説を書いたのをきっかけに次々と、会いたかった仲間に会えた事をご報告致します。

そして、最後に【彼女】の事ですが…。

まずは、実は別れた後に2回逢いました。

1回目は別れた、半年近く後電車でバッタリ再会しました。

見違える程綺麗になっていた彼女の方から近寄って来て「久しぶり! 」と声をかけて来ました。

その頃、まだアルバイトをしていた僕に「彼女できた?」と聞いてきましたが首を横に振り、「君は?」と言うと「ペンフレンドだけどね!」とアメリカ人と交際している事をほのめかしていました。

2回目は僕がプロダンサーになり日生劇場のミュージカルに出演している時に見に来てくれました。

21歳の頃です。

その時は彼とは別れたと言っていました。

「本当にダンサーになって、夢をかなえたんだね! なんか嬉しい! 」と言ってくれました。

もしもその時「もう一度やり直そう!」と言っていたら違う人生を歩んでいたと思います。

「あきらと別れた後は、誰と付き合っても魅力的に見えないんだよねー。皆、目先の現実しか見てないし、落ち着く事ばかり考えている」と言っていました。

その時はそれを話しただけで別れました。

その3年後、24歳の頃に突然、電話がかかってきました。

杉並区のアパートで独り暮らしでダンサーをしていた頃です。

「もしもし!私」

「えっ?誰?」

「5年も経つと元彼女の声も解らないか(笑)」

と、おどけた後。

「あなたと別れた後、色々な人とお付き合いしようとしたけど、本気になれる人がいなくて。」

「情熱を持って夢を追いかけてる魅力的な人って中々出会えないもんだね」

「実はね、別れた後も明の家の近くまで何回も行ったの。バスに乗って、いつもワクワクして何度も通った道を忘れられなくて」

「前に一度、ミュージカルを見に行った時に本当は、もう一度やり直せたらな?って思っていたんだ。でも全然そんな気持ち気づいてくれなくて・・やっぱり無理なんだなって思った。」

「今、付き合っている人が、ヘリコプターのパイロットを目指しているんだけれど、日本だと中々ライセンスが取れなくて、仕事も無いから、アメリカに移住するって言ってるの」

「私は彼に付いて行って、応援してあげようと思う。だから、これが本当に最後の電話。これからも頑張ってね!」

言葉の一つ一つに驚愕したのを覚えています。

そして・・・

数年前、再会する事ができました。

何度かお会いし、食事をし、彼女がシングルマザーとして頑張っている事を聞き、お付き合いに近い所までいきましたが・・

結論から言うと・・

フラれました(笑)

1度の人生で、同じ人に2回もフラれるって、もう笑い話にしかなりませんね💦

彼女の娘さんともお会いでき、非常に月日の長さ、重さを感じました。

彼女と、娘さんの末永い幸せをお祈りいたします。

親愛なる元ジャニーズジュニアだった仲間達へ。

「ジャニーズ事務所」を辞めた後の人生の方が遥かに長い。

そして険しい。

運良く「ジャニーズジュニア」になってもその中からデビューが出来るのは極一部の人間です。

デビュー出来なかった人間はそれこそ、ごまんといます。

また運良くデビュー出来てもその後ジャニーズに、いや芸能界に残るのは更に厳しい事です。

「ジャニー」さんから言われた言葉。

「ユーはもうジャニーズなんだから! 」

「ユーはもうアイドルなんだから! 」

旧テレビ朝日の第2リハーサル室にレッスンに来ているジャニーズジュニア達はみんな同じような事を言われた事でしょう。

入ったその日に憧れのスターに会わせてくれて、「ユーも来週からレッスンに来てね!」と言うジャニー喜多川さんの真意とは?

芸能界は広いと言っても、やはり「ジャニーズ」は特別な存在だったと思います。

大人ならともかく、多感な年齢の少年達は夢から覚めぬまま、その後の人生と格闘していく事になるでしょう。

ましてやジャニーズ特有の世界を覚えてしまったのならば。

私もその一人です。

青春時代と言う言葉はもはや、古臭いかも知れませんが一番多感な年頃にジャニーズジュニアとして過ごした多くの仲間たち。

後輩たち。

その後、無事に社会復帰して生きていますか?

1度しかない人生。

自分が過ごした体験と経験は自分にしか解らない物ですが、同じ境遇に生きた多くの仲間には解って貰えると確信しています。

自分の経験を書き綴る事によって何かを伝えられれば幸いです。

特に傷ついた?元ジュニアの皆様へ。

社会に出れば「元ジャニーズジュニア」と言う肩書きなんて通用しません。

『いくら自分を自慢してみても、他人は実質以上に見てくれない。』

会社のトイレにあったカレンダーの引用です。

過去は過去。

今、現在の自分の実質を高めなければ、人は認めてはくれません。

これは私に言っている言葉ではないか?

そう思って「ドキッ!」とした言葉です。

「ジャニーズジュニア症候群」

そんな言葉はないかも知れませんが、とても感じている言葉です。

「自分だけは特別なんだ」

と言う根拠のない意識が強すぎて、社会に不適応になってしまう人、いませんか?

「ピーターパン症候群」と言う「少年のまま大人になりきれない大人」よりもタチが悪いかもしれません。

普通の少年が、1日で「ジャニーズジュニア」となり、その瞬間から「ファン」が出来てしまう。

先輩のコンサートに出て「何千人(今は何万人)」と言う若い女性にキャー・キャーと言う黄色い歓声を浴びる。

一度その世界を味わってしまったら、普通の社会人として復帰するのは、物凄く大変な事でもあります。

「夢」と「現実」をいつ、どうやって絶ちきるか?

一生夢を追って生きるのか?

現実の社会に適応して、過去は過去の物として精算出来るのか?

人生は自分次第です。

私はジャニーズ退所後、半年間は身の振り方を考えながらアルバイトをしていました。

最初から6ヶ月だけの契約でがむしゃらに働き、6ヶ月以内に次に何をするか決めようと思っていました。

考えに考え、色々な本を読み、映画を見て6ヶ月後に私が選んだのは、「もう一度踊りたい!」と言う結論でした。

月刊誌「デビュー」と言う情報雑誌にあった「オーディション無料」と言う言葉にひかれ「はるかプロモーション/劇団はるか」と言う名もない事務所のオーディションを受ける事にしました。

当日120人位の人が集まり、ダンスや芝居のオーディションを行いました。

無我夢中で踊り、芝居をして結果を待っていると、「今回のオーディションで貴方は1位で合格です。特待生として無料でレッスンを受けて頂き、直ぐにタレントとして契約したい!」と言われました。

勿論、事務所と契約をしました。

これが芸能界で初めての契約でした。

3ヶ月芝居とダンスを稽古していると、ある仕事をする事になりました。

「東京ディズニーランド」の海外向けのCMにダンサーとして出演すると言うものです。

ディズニーランドに1週間泊まりこんでの撮影でしたが、その時一緒に踊ったダンサーの中に「宝田明」さんの事務所から6人のダンサーが来ていました。

その中の3人のダンサーさんと仲良くなり、4日目の撮影が終わる頃「この後の仕事って決まっているの?」と聞かれ、「決まっていない!」と答えると「一緒にミュージカル出ようよ!プロデューサーさん紹介するよ!」と言われ、直ぐに出演する事になったのが「ミュージカル/原宿物語」でした。

主演は「野村義男&THE GOODBYE」そして共演者には「乃生佳之」さん「柳沢超」君、更に「中野ブラザーズ」さんの文字が。

何か因縁めいたものを感じました。

その後、原宿物語のプロデューサーさんの紹介で日生劇場のミュージカル西城秀樹、鳳欄主演「デュエット」に出演。

出演ダンサー男性6人、女性6人のみと言う、厳しいステージでした。

そして「デュエット」のプロデューサーのお力添えで「大地真央さん主演プリンセスモリーに出演」、その時に大地真央さんを「アニキ」と慕っていた事から真央さんに気にとめて頂き「私のリサイタルに出て!」と言われ「大地真央ファーストリサイタル/カフカの夢」に出演。

そのまま、大地真央主演、日生劇場公演「野田秀樹演出/十二夜」に出演。

とまるでドラマのようなサクセスストーリーを歩み始めたようでしたが、一転この後は人生の表舞台から一気に裏舞台を生きる事になりました。

詳細はこちら

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おっと、長くなってしまいましたが、この後の話しは「生きている間に、時間があれば」書き綴りたいと思います。

芸能界とミュージカルに出演したダンサーがなぜ、新宿歌舞伎町の裏の世界で毎日「オカマさんやニューハーフさん達と踊っていたのか?」

「ダンスシューズ1つ」で新宿、静岡、札幌、六本木と渡り歩いた日々。

有名なCM「JR東海シンデレラエクスプレス」に出演、お笑いタレントになった理由、「つかこいへい」の舞台に出演、そして・・。

果てしなく続いた「ただのダンサーでは終わらないと言う野望」。

いつ、始めるかは解りませんが次回作只今構想中です。

長くなってしまいましたがともあれ、元ジャニーズジュニアだった皆様が悔いの無い人生を生きれるように、心よりお祈りしています。

元仲間だった皆様へ。

ご愛顧有難うございました。

また、会う日まで!

元ジャニーズジュニア

武口 明

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別名:@moonwalker_take。 53歳、2児の父親離婚バツイチ現在独身。 50を過ぎて、未来の自分のために、今までお世話になった方々のために、ブログを通じて夢見る人生を生きていく事を発信していきたいと思います。