第125話「舞台と芝居とMIEさんと」
[box03 title=”第125話「「舞台と芝居とMIEさんと」”]
あの頃のジャニーズ 夢と彼女とジャニーズと [/box03]
時代はサーカスの像に乗って84稽古場で自分の出番が終わり、天井桟敷の役者さんの芝居を見つめていた。
台詞があっても無くても、集中して感じたままを表現している。
その場に立った時に、そのキャラクターに成りきっているから、違和感もなく、台詞のやり取りからアドリブまで飛び出す。
見ているとその演技に引き込まれていく。
それに比べて僕は素人同然だ。
もしも、少しでもアドリブが入ったら、学校の授業中に先生に指差され、立ち上がったものの何を答えていいのか解らずに、頭の中が真っ白になってしまう生徒のようになるだろう。
落ち込んだ。
こんなにも芝居が出来ない人間だとは思っても見なかった。
この舞台に出る資格があるのだろうか?
僕はここにいていいのだろうか?
そんな葛藤が始まった。
毎日稽古をしていくうちに、徐々に作品が出来上がって行く。
ジグソーパズルを組み立てるように、Aと言う場面を作り、次にCと言う場面を練習して、Bと言う場面を作る。
そしてA、B、Cと繋げて練習をしてみる。
そこに新しいアイデアを入れたり、余分な芝居を省いたりしながら洗練された作品が作られて行く。
実際にはもっと複雑に、AからGをやってDをやるように、場面場面を練習して散らばったパズルを完成させていくような感じだ。
僕は自分の出番や段取りに追われて、芝居だけに集中する事が中々出来なかった。
リハーサルの合間には、週刊誌の取材もきた。
萩原朔美さんの取材だったが、ジャニーズジュニア、がアングラ演劇に出演して稽古をしているのが不思議だったのか、写真に撮られた。
表面的には自分が悩んでいる事を見せないが、どんどん進んで行く稽古とは裏腹に演じきれず、取り残されている事に悩んでいた。
主演のMIEさんはその個性を出し、明るく、時にはおおらかに芝居を演じていた。
みんな自分の個性を芝居の中に徐々に出しはじめている。
僕の個性って何なのだろうか?
どうすれば個性を出せるのだろう?
限られた出番の中で、どうすれば集中してその役になりきれるのだろう?
自分では腑に落ちない内に、刻一刻と時間だけは過ぎて行く。
この気持ちばかりは、彼女や親やジュニアの仲間に相談出来るものではない。
自力で解決するしかないだろう。
稽古の期間は瞬く間に過ぎて行った。
「渋谷PARCO SPACE PART3 」に劇場入りする日がきた。
その空間に初めて入る。
「何にもない!」
当たり前だが、そこには何にもないのだ。
客席も舞台も無く、ただ「空間」が存在しているだけである。
「スペース」の意味が良く解った。
その空間に「セット」が組まれて行く。
床にパンチと呼ばれるカーペットを敷き、更にリノリウムを敷いていく。
この空間が舞台となるのだ。
入り口の反対側にはパネルが立てられアーティスト日比野克彦さんが、装飾を施していた。
手作りで空間が舞台に変わって行く。
そして、大量の照明機材が運びこまれセッティングされて行った。
照明を仕切っているのは沢田祐二さんである。
稽古場では温厚な雰囲気だったが、照明のセッティングを始めると様相は一変した。
「これは床に転がして!」
「もっと床をなめて!」
「右にパンして!」
専門用語でスタッフにキビキビと指示を出して行く。
因みに「床に転がす」とは床に置いてセッティングをする事で「床をなめる」とは照明の光を床に当てると言う事である。
「右にパンする」とは右側に照明機材を振ると言う意味だ。
何も無い空間が照明によって生きた三次元の空間に変わった。
演出の萩原朔美さんが言った。
「ここのシーンは朝日に向かって突き進むようなシーンにしたい! 」
すると沢田さんはスタッフに機材の種類、セルの色、セッティング場所、角度を明確に指示し、ものの5分でリクエストに答えてしまう。
「夕日にしてください。」
と言えば数秒で切り替えてしまうのだ。
コンサートで華やかな照明を浴びて踊ってはいたが、芝居の照明とでは生々しさが全く違った。
この照明の中で稽古が始まった。
自分の出番までは客席にいる。
そして自分の出番になる刹那、真っ暗に暗転になった。
床に貼られた蓄光(ちっこう)テープの出すほのかな光を頼りに、自分の場所に立った。
照明が灯される。
自分の周りが明るくなる。
しかし自分の周り以外は真っ暗だ。
音楽がかかる。
戦争のシーンだ。
見えない敵に向かって銃を構える。
真っ暗な闇の先に一瞬恐怖を感じた。
敵が来る。
大勢の敵が来る。
撃たれれば即死だ。
こんな知らない場所で、死にたくない!
そう思った瞬間に撃っていた。
心の中で叫ぶ。
「こっちに来るなー! うぉぉぉー!」
目頭が熱くなる。
何かが吹っ切れた。
その瞬間、確かに大勢の敵がやってくるような気配を感じた。
照明が徐々に暗くなって行く中で、まだ僕は兵士として戦っている。
稽古中に集中出来なかったのが嘘のように、音楽と光の中で舞台に立った時から違う自分になれた気がしたのだ。
本番と同じ舞台の上、緊張感、そして何よりも照明の灯りが、自分の中で眠っていた何かを呼び覚ましてくれたみたいだった。
どくん、どくんと心臓が波打っている。
不思議な体験をしたように身体が興奮をしているようだ。
俄然、芝居をするのが楽しくなってきた。
さっきまでの自分とはちょっと違う気がしている。
稽古と平行して舞台のセッティングも進められ、通し稽古の前には完成した。
何も無かった空間が、小さなサーカスの会場のような、室内で行われる運動会のような会場に変わった。
少し自信をつけた僕は、その場にいる喜びを改めて噛み締めた。
稽古に入って直ぐに悩み始めてしまった為に、出演者の役者さんや、ジュニアの鈴木君、柳沢君、木暮君ともあまり話をしていない事に気が付いた。
大丈夫、まだこれから1日のリハーサルと九日間の本番がある。
そう思った。
しかし実際に劇場に入ってしまうと、時間の過ぎ方は半端では無い。
リハーサルの用意に平行してチケットの手配、確認の作業が時間を奪う。
劇場の近くにある公衆電話は出演者で埋まってしまう。
僕も彼女や家族、友達のチケットの確認と手配に追われた。
直接渡せる家族は問題ないが、彼女や友人には会える時間が無い。
来てくれる日と枚数を確認して、受付に置いてある事を告げる。
ただそれだけの事ではあるが、人数の変更や時間の変更があると時間がかかる。
気が付けば初日を迎えていた。
リノリウムが敷かれた四角いステージの際に座布団が置かれて行く。
これが桟敷席と呼ばれている席である。
舞台の奥にはついたてが有り、バレーボールのコート程のスペースに、コの字型に座布団が敷き詰められていく。
その席があれよあれよと言う間に埋まって行く。
ガラーンとした空間が、いつの間にかザワザワと沢山の人のざわめきの声が充満した芝居小屋に変わっていた。
席の一番前の角に一人の老婆が座っていた。
来ているお客様はジュニアのファンであろう若い女性と、20代から40代位のお客様が大半をしめており、白髪の田舎から出てきたような老婆の姿は非常に目立っていた。
僕の祖母だ。
楽屋でも話題になる。
高見恭子さんが「あのお婆ちゃん可愛い! ちょこんと座ってる!」
と言えば、柳沢君も「本当だ! 一番前にいるから目立つねー!」と言った。
「すみません! 僕の祖母です!」
と少し恥ずかしかったが打ち明けた。
家では「婆ちゃん! 」と呼んでいる祖母は、僕の育て親のようなものだ。
両親が共働きだった為に、物心ついた時から世話をしてくれたのは「婆ちゃん」だった。
明治産まれの婆ちゃんは、山形県出身で訛りが強い為に初めて喋る人には通訳が必要なくらいだ。
婆ちゃんにとっては、孫である僕の芝居は学芸会と変わらないかも知れないが、プロの役者さんが出ている舞台をどうしても見て欲しかった。
とは言え一番前の目立つ場所に座るとは思っていなかったが、気持ちは高ぶり、やる気が出てきたのは間違いない。
初日の公演は満席になった。
照明の中で動き、演じ、違う自分になりきった。
お客様が入って一番感じるのは笑い声やリアクションである。
リハーサルの時より更に熱のこもった芝居になっていた。
本番が始まると、恥ずかしさもなく、婆ちゃんの存在も気にならないで芝居を続ける事ができた。
終演後の反応も上々で充実した初日を終えられた。
帰宅して婆ちゃんに感想を聞いてみる。
「いんやー、凄がった。ここにいたっけさ、暗くなって明るぐなっど、あっちの方さ行って、忍者みたいだっけ。よく練習したんだねー!」と言った。
オープニングの場面で数秒おきに暗転になり、明るくなると別の配役で別の場面になっているのが、印象に残っていたようだ。
少しは恩返しになっただろうか?
それは解らなかったが、少なくても楽しんでくれたようで、それだけでも嬉しかった。
翌日には彼女が会社の友達と差し入れを持って見に来てくれ、その翌日には高校時代の友人も見に来てくれた。
舞台に慣れ始めた頃には中日を迎え、九日間の公演は瞬く間に過ぎて行く。
そんなある日の事だ。
主役のMIEさんから声をかけられた。
「今度皆で食事に行こうよ!」
皆と言うのは勿論、ジャニーズジュニアの、鈴木君、柳沢君、木暮君と僕の4人の事である。
MIEさんからのお誘いを断る訳がない。
ジャニーズジュニアの4人と、MIEさんとで食事に行く事になった。
その日、舞台の終演後に他の出演者とは別にジュニアの4人で集まり、MIEさんと待ち合わせ場所に集合した。
他の役者さんたちは、連日のように終演後に飲みに行っているようだった。
正直に言えば僕も一緒に行きたかったが、流石にジャニーズジュニアとして4人で出演しているので酒の席には付き合えない。
4人ともまだ未成年である上に、木暮君と柳沢君はまだ高校生である。
ジャニーズジュニアとして出演している以上、たとえ飲酒をしてなくても酒場に未成年者が顔を出しているのはよろしくない。
ゴシップ記事にでもなったら大変である。
そこらへんは認識していた。
MIEさんも、初日、二日目と沢山の来客があり、終演後はお付き合いなどもあったようだ。
終演後はバタバタと劇場を後にしていたからだ。
今回の舞台の出演者とも交流を深めたいのだろうが、何せあの「一世を風靡したスーパーアイドルのピンクレディのMIEさん」である。
他の出演者のように渋谷界隈の、大衆酒場や居酒屋にそうそう出入りは出来ないであろう。
酔客に絡まれたり、騒がれたりしたら他の出演者に迷惑がかかるだろうし、週刊誌の格好の餌食になってしまうからだ。
そんな事も有り、今回一緒に出演していたジャニーズジュニアの4人を誘ってくれたのだと思った。
前にジュニアの皆とMIEさんと話しをした時に「オールナイトフジ」の事を話た事があった。
番組の中でブレイクしていた『真夜中の料理教室』と言うコーナーを担当していた「結城貢(ゆうきすすむ)」先生の話になり、木暮君や柳沢君が、ことさら盛り上がった。
その時に、「ススムちゃんのお店に今度行こうよ!」とMIEさんが言い出した。
MIEさんは結城先生と知り合いだったのだ。
今日はその約束通り結城先生の店に行くのである。
僕らは原宿の竹下口に近い場所でMIEさんと合流する約束をした。
僕らが着いた10分後にMIEさんが到着し、MIEさんの後をついてある一件の店に入った。
「割烹料理 結城」それが店の名前だった。
中にはカウンター席があり、その中にテレビで見た結城貢先生がいた。
「はい! いらっしゃい!」
と独特のあのしわがれ声で挨拶をした。
「ススムちゃん! 今日はいっしょに舞台に出ているジャニーズの子達を連れて来たの! 」
と言って紹介をしてくれた。
挨拶をしカウンターの席に座った。
カウンターはL字型になっており、奧にMIEさんが座り、角のコーナーを隔て鈴木君、木暮君、柳沢君、そして僕の順番で並んで座った。
『オールナイトフジ』と言う番組で結城貢先生は、独特のしわがれ声で、オールナイターズや女性タレントをバッサバッサと切って行く。
結城先生に叱られそうになったオールナイターズの女子大生が「先生の事好きです!」
と言えば「あっそう、俺は嫌いだよ!」とバッサリ切ってしまう。
テレビで見ていてそれが痛快で面白かったのだが、実際にお会いしてもそのままの方であった。
柳沢君が「僕も名前がススムと言うんです! 一緒ですね!」
と言うと「一緒にしないでくれる!?」と切り返される。
皆大爆笑をした。
又、メニューを見て「これ美味しそうですね!」
と言えば「うちは全部美味しいの! まずい物出すわけないだろ!」
と切り返される。
おまけに「変な事言うと帰ってもらうよ!」
と言われてしまう。
辛口のトークはお客様とボケとツッコミのような会話になり、変な事を言ってはいけないと言う緊張感はあるものの不思議と落ち着いた雰囲気になった。
料理が出てくる。
「味はついているからそのまま食べて!」
と出された料理は、一瞬目を疑う程のてんこ盛りになった野菜サラダのような料理の脇に鶏肉が乗っていた。
まるでかき氷が尖っているようなキャベツの盛り付けだった。
味も正油系のドレッシングのようだが、オリジナルのようで爽やかな風味とスパイスの味がした。
「君たちみたいに若い者は野菜を沢山取った方が良いんだよ!」
辛口なトークとは反対に身体の事を気遣った優しい料理が出てきた。
料理を楽しみながら会話も話が弾んだ。
MIEさんがピンクレディーの話をするとやはり聞き入ってしまう。
とは言えこちらから、芸能レポーターのようにあれこれ聞く訳にはいかない。
そんな会話の流れの中でMIEさんが「ケイのファンだった人いる?」と4人に聞いた。
スッと手を上げた。
MIEさんの事も好きであるが、ピンクレディー時代はケイさんのファンだった。
華奢な身体にハスキーボイスが何となく僕の心をくすぐったのである。
一瞬場違いで「やっちまったか? 」と思った。
が、MIEさんは「じゃあ、今度ケイちゃん紹介してあげるね!」と言って笑った。
楽しい一時は瞬く間に過ぎて行った。
時代はサーカスの像に乗って84の一コマ
時代はサーカスの像に乗って84 稽古風景 右側が筆者。
時代はサーカスの像に乗って84’チラシ
豪華出演者
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